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平安時代の様子

飛鳥時代、奈良時代

前節で述べましたが、古墳時代には、古墳、祭祀域がみられるものの、居住域はあまり見られなくなりました。
その後、飛鳥時代、奈良時代共に人々の活動の痕跡はさらに希薄になり、建物は少なく、わずかながら溝やピットから須恵器、土師器などの破片が見られるだけでした。

平安時代

平安時代になると、散在的ではあるものの掘立柱建物が下鈎遺跡のあちらこちらで見られるようになります。掘立柱建物が見つかった発掘調査地点は10か所ですが、隣接する調査地点は同じ居住区と考えられるので、7か所で見つかったと言えます。
これらの箇所で、比較的まとまった建物がみつかっているのは、北東側で8棟の区域が、南側で10棟の区域があります。大きな集落とは言えないものの、小さな集落を構成していたようです。

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