弥生時代後期末の様子
弥生時代後期末に祭殿は廃絶され、跡地には居住建物が建てられます。
弥生時代後期末に最盛期を迎え、役目を終わる
弥生時代後期末、クニグニが相談して卑弥呼を女王として共立した後、鏡のマツリが導入され銅鐸のマツリは終わります。銅鐸のマツリの中核であった伊勢遺跡、下鈎遺跡は役目を終えることになります。
集落自体が廃絶されるのではなく、古い祭祀の象徴であった祭殿が解体され、銅鐸が大岩山に埋納されるのです。その後、伊勢遺跡も下鈎遺跡も、祭祀空間の跡地には新しい住居が建てられ、居住空間となります。もはや広域の拠点集落ではなく、一般集落として人々の営みが行われるようになったのです。
このことは、後期末前後の集落の劇的な変化を見れば良く判ります。
伊勢遺跡の建物の変化
伊勢遺跡では、短期間のうちに大型祭殿が廃絶され、跡地には、それまでには1棟もなかった竪穴建物、それも大型の建物が次々と建てられます。激動的な社会変化があった証拠です。
弥生時代後期の祭殿 赤色:祭殿、関連施設 |
弥生時代後期末〜古墳時代初頭の住居 緑色:竪穴建物 |
下鈎遺跡の建物の変化
同じころ、下鈎遺跡でも建物の様子が大きく変貌します。南北の祭祀域の祭殿と関連施設が無くなります。その後、北の祭祀域には新しい周溝付建物や掘立柱建物が次々と建てられます。その様相は、伊勢遺跡と同じと言えます。
下長遺跡の祭殿も同じころに廃絶されており、3つの遺跡で同時に祭殿が無くなりました。
弥生時代後期の祭殿 |
弥生時代後期末〜古墳時代初頭の住居 |