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出土物
弥生時代後期の下鈎遺跡の出土品について述べます。
一般的な出土物
弥生時代後期〜古墳時代初頭の遺物の出土状況を図に示します。

土器

【出土状況】
下鈎遺跡は30数年にわたって少しずつ発掘されたため、出土した土器の量は必ずしも全部の報告書に記載されていません。
報告書に出土状況として定性的に書かれている表現や出土状況の写真を基に土器の出土状況を図にまとめました。
土器出土状況
土器出土状況
(栗東市発掘調査報告書より作成)

南の特別祭祀域周辺の川辺に多くの土器が集中して捨てられています。祭祀域の北東側の川からも多量の土器が出土しています。ここは居住域にも隣接しており、多量の土器はうなずけることです。
祭祀域の河川の上流側や下流側からはあまり土器は出ておらず、この地域は人々の活動がほとんどなかったためと考えられます。
南の特別祭祀域でも、西側の祭殿(建物1)に隣接する川辺には土器は捨てられておらず、「祭殿周辺には土器を捨てない」という意識や規範があったのかもしれません。
一方、北の祭祀域周辺からは、ほと んど土器は出ていません。北の祭祀域 からはマツリの品物も少なく、前にも 述べたように祭祀域の性格の違いが如実に現れています。

石器

弥生後期にも石器が出ています。出土する石器の種類は中期の石器と同じですが、数量的には少なくなっています。中期に比べ、数としては約1/3程度です。
弥生中期末には鉄器が入ってくる時代なので、石器から鉄器に変わりつつあったのでしょう。次項の「特別な出土品」のところで紹介しますが、現に鉄鏃や鉄製の刀子が出土しています。
重要なものとしては水銀生産に用いられた石杵が出ていますが、次項で紹介します。

木器

全般に木器の出土は少ないのですが、斧の柄、横槌などの製品以外は、棒状のもの、板状のもの、建材と思われる部材が見つかっています。
弥生中期の木製部材と比べて特徴的なのは、鉄器が出現した結果、ほぞ穴や溝などに細かい細工が施されていることです。小さい鉄工具が出来たので、ほぞ穴も四角形にきれいに仕上がっています。
次項で紹介しますが重要なものとして琴が出土しています。
特別な出土品
「祭祀の場/祭祀の形」で触れた石杵やガラス玉、手焙形土器、琴などのマツリの道具について紹介します。「青銅器生産」のところで述べた、青銅製品はここでは省きます。
弥生後期の特別な出土品
弥生後期の特別な出土品
(栗東市発掘調査報告書より作成)

石杵

赤い色は神聖な色として、縄文時代から古墳時代にいたるまで、土器や木製品の表面に塗られたり、お墓に使われたりしてきました。これらの赤色顔料にはベンガラ(酸化鉄)と辰砂(硫化水銀の朱)の二種類があります。
ベンガラは入手、加工が簡単ですが、朱は採集できる場所が限られて、調合するにも高度な技術が必要でした。水銀朱は採集地で、大まかに粉砕して供給され、消費地で石杵と石皿を使ってすりつぶし微細化して使ったようです。
下鈎遺跡ではこのような石杵が3点も見つかっています。石杵は出土する例が少ないので、3点も出土することは珍しく、下鈎遺跡で水銀朱の精製を行っていた可能性があります。ただ、出土した3点の内、一つの石杵にしか水銀朱の付着は認められず、きれいに拭き取られたのか、儀式用に使用されただけなのか良く判っていません。

石杵
石杵【栗東市教委】
手焙形土器
手焙形土器【栗東市教委】

手焙形土器

弥生時代後期の近江型土器の上に覆いを付けた、その形が手焙用火鉢に似ているので「手焙形土器」と呼ばれています。覆いの内部に煤が付いたものがあり、火を用いて祭祀に使われた可能性があります。
卑弥呼女王誕生の前夜に現れ、卑弥呼政権の終焉と共に消えていく、短い期間に用いられた土器です。
このため卑弥呼政権と関連付けて考えている考古学者もいます。
期間が短いため出土する数は全国的に見てもとても少なく、拠点集落や大きな集落でしか見つかっていません。この土器は、近江から全国に広がっていきますが、古墳時代には大きな墓に埋納される重要な祭器になっていました。
下鈎遺跡では形が復元できるものが1点、製品としてカウントできる破片が3点、合計4個の手焙形土器が出ています。伊勢遺跡からは1点しか出ていませんが、最も古い形の物であり発祥の地である可能性があります。伊勢遺跡群の一つ、下長遺跡では7点の手焙形土器が見つかっており、同じ遺跡群として、3つの遺跡は同じような祭祀をしていたと考えられます。
伊勢遺跡群ではないものの、同時期の服部遺跡からは20個もの手焙形土器が見つかっており、ここも特別な遺跡であったことを伺わせます。

やまと琴

古代の琴は弥生時代の遺跡から散発的に見つかっていますが、数は多くありません。古墳時代に入ると、近江・畿内・東海を中心に出土数が増えてきます。
特に守山市・栗東市を含めた野洲川下流域で多いのですが、下鈎遺跡からも古墳時代初頭の制作と見られる琴が見つかっています。古代の琴にはいくつかの構造があります。下鈎遺跡で見つかった琴板は共鳴漕に結合するための構造となっており、長さは158cmもあり、琴の中でも最大級です。
弦を張る突起が5個残っていますが、弦を集める孔から判断すると突起は8個あったようで、8弦の琴ということになります。
桜の樹皮で補修した痕跡も残されており、大切に使われていたようです。

出土した琴板
出土した琴板【栗東市教委】
槽作りの琴の復元図
槽作りの琴の復元図 出典:守山市史(考古編)

鉄製品

北の祭祀域の土中から、鉄鏃と鉄の刀子が見つかっています。居住域の溝からも刀子と思われる鉄製品が出ています。このことから、鉄製品も数多くあったと考えられますが、水の祭祀などで水辺に納められた鉄製品は腐食して無くなったか、あるいは再利用されて無くなったのでしょう。
鉄製刀子と鉄鏃 鉄製品
鉄製刀子と鉄鏃         鉄製品
ガラス小玉
ガラス小玉
水晶
水晶
【いずれも 栗東市教委】

ガラス玉

弥生時代や古墳時代の遺跡から、たくさんのガラス玉が発見されています。でもこの時代のガラスは、すべて輸入品で漢から伝わったものでした。
九州で多く見つかっていますが、野洲川下流域ではあまり見つかっていません。弥生後期の下鈎遺跡の水の祭祀場で薄い青色のガラス玉が4個見つかりました。直径は4〜5mmで墳丘以外での出土はとても珍しいものです。

水晶

南の祭祀域にある祭殿1の柱穴や布掘り溝から土器が出ており、水晶も柱穴から出てきました。 建物が安全に建てられるように祈願したのでしょうか?

木製朱塗り高坏

南の祭祀の東端を区切る区画溝と考えられる溝から、木製朱塗り高坏の一部分が出土しています。
朱塗り高坏
朱塗り木製高坏【栗東市教委】 と  復元想像図

弥生中期の出土物のところでも書いたように、土器の高坏はどこでも多く見つかっており普段使いの器でした。木製の高坏は祭祀に用いるか、身分の高い人物が威厳を示すために使ったと言われています。
ここで見つかった木製高坏は一部に朱が塗ってあり、重要な祭祀具であったと考えられます。

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