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出土物
下鈎遺跡でも他の集落と同じように、土器や石器が多数出てきます。旧河道で水分の多い所に埋もれた木器も腐敗を免れて出土しています。
多量の土器が炭化物、焼土と一緒に廃棄されている不思議な場所があります。
一般的な出土物
弥生時代中期の遺物の出土状況を図に示します。祭祀に用いられる遺物は既述しているので省いています。建物跡やピット、土坑などからの出土もありますが、量的には多くないので省いています。

土器

【出土状況】
出土した土器の量をどう表現し比較するのか難しいものがあります。
完全に近い形状の土器と、形をまだ留めている土器、大きな破片となっているもの、細片になったものなどがあり、個数で数えても重さで測っても問題があります。
一つの尺度は、発掘現場で使われている保管用コンテナをどれだけ使ったかを数える方法があり、「コンテナ**箱の出土品」と報告書に書かれることがあります。でも、保管したコンテナの数は必ずしも報告書には書かれていません。
弥生中期の出土品
弥生中期の出土品と図面化された土器の数
(滋賀県発掘調査報告書より作成)

今回は、報告書に図面として記載された土器の数を調べました。報告書では、完形品(土器全体が残されているもの)はもちろんのこと、大きな破片まで図面化して記載されています。細片となった土器は図面化されませんが、土器は年代を知る重要な遺物なので、ほとんどの報告書には土器の図面が記載されるのです。
図では、赤丸の大きさで図面化された土器の数を示しています。
この図から分かるのは;
1.祭祀域での土器の数がとても多い。
2.環濠からの出土数が少ない。
ことです。
一般的に、環濠は廃棄場として使われることが多く、たくさんの遺物が出てきます。
下鈎遺跡では様相が違っています。
【祭祀域での出土状況】
祭祀域での出土土器は、導水施設の区画となっている南側の溝と北側の自然流路の中に集中的に捨てられており、特徴的なのは、土器だけではなく炭化物と焼土が一所に出てくることです。このことについては節を改めて記載します。
【図面化された数と土器の量】
弥生中期の土器としては1400点くらいの出土土器片が図面化されています。
このうち、祭祀域の北側を区画する自然流路では、230個の出土土器や破片が図面化されました。この自然流路から出土した土器の数量は、破片点数が40490個、重量が約175kgです。図面化の対象にならない小さな破片がいかに多いかがわかります。
祭祀域の溝2、溝3から出土した土器で図面化されたものは、それぞれ272個、354個です。これらの溝から出た土器の破片点数、重量データはありませんでした。
【土器の種類と数】
図面化された土器の破片は、土器のどの部位か、また、甕(かめ)や壺、高坏(たかつき)などの種類が判る場合があります。
祭祀域で捨てられた土器で図面化されている1000点弱の内、700点ほどの土器の種類が判っています。
大きくは次の図のように分類できます。

土器の機種構成
30%       5%       49%       4.5%       8.4%       3.1%
土器の機種構成  (滋賀県発掘調査報告書より作成)

煮炊きに使う甕(かめ)の数が一番多く半数をしめています。火にかけることから壊れることも多かったのでしょう。貯蔵用の壺・鉢は合わせても40%程度です。
高坏(たかつき)は食べ物を置く食器と考えられています。器台は底が尖っている甕や壺を置く台です。当時の土器としては、この他、水差しやミニチュア土器等があります。
面白いことに、土器のこの割合は、同じ弥生中期に栄えていた服部遺跡での同様のデータと比べるとほぼ一致しています。同じ野洲川下流域で、生活様式も似ていたのでしょう。

石器

石器の出土数は、土器の出土数とよく似た傾向で、図面化された土器の数の約1/10程度です。多いのは打製石鏃で次いで多いのが砥石です。
弥生中期の石器
弥生中期の石器 【滋賀県教委】

弥生中期の遺構から出てきた石器の数は、一番多いのが石鏃で合計66個、砥石が30個、磨製石斧が6個、打製石斧が2個、石匙(いしさじ)が6個です。あとの石器の出土数は1〜3個です。

木器

一般的に、環濠集落では木器は環濠から出てくることが多いのですが、下鈎遺跡では土器と同じ傾向で、環濠からは出てきません。しかし、自然流路の川跡から木器が出てきます。土器の出土状況の図に緑色の丸印で示しています。
いろいろな種類の木製品が出ていますが、下長遺跡や服部遺跡に比べて、種類も数量もとても少ない状況です。主な出土品を写真に示していますが、あとは、杭状、板状や用途の分からない木片などが出土しています。
弥生中期の木器
弥生中期の木器 【滋賀県教委】
特別な出土品
「マツリの場」で述べた祭祀具以外に見つかっている特別な出土品として、銅鏃の未成品や絵画土器、朱塗りの盾、刀の鞘(さや)の片身、木製高坏(たかつき)の台座などが出土しています。
絵画土器以外は環濠の中央を流れている幅が約20m、深さは検出面から約1.3mの川跡から出土しています。 報告書では細かい発見場所まで分からないので、一つの赤丸で示しています。
発掘調査を担当された滋賀県文化財保護協会の辻川哲郎さんによれば、流れのある川の流路内では、遺物が原位置を保っている保証はないのと、上層(後の時代になる)との混じりあいもあるので、弥生時代中期の遺構から出土しても、中期遺物と確言できないとのことです。
このホームページでは、弥生時代中期の遺物として掲載しますが、解釈に留意を要します。

特別な出土品
特別な出土品
(滋賀県発掘調査報告書より作成)

絵画土器

北西部の環濠から、寄棟高床式建物を描いた弥生中期の絵画土器が出土しています。偶然ながら、後期になると、そのすぐ近くに独立棟持柱建物が建てられるのです。
弥生時代中期の居住域で掘立柱建物が見つかっていますが、あまり大きいものではなく、絵画土器に描かれたような寄棟作りの大きな掘立柱建物がどこかに建っていたのかもしれません。
寄棟高床式建物を描いた土器
寄棟高床式建物を描いた土器
 【栗東市教委】

銅鏃未成品

川跡から見つかった銅鏃は連続鋳造したものを切り離しただけの未成品です。バリを取ったり先端を尖らせたりする必要があるのでが、一部に欠損がある不完全品なので捨てたのかもしれません。
実際に作るときには、数個の銅鏃を同時に鋳造します。
鋳造した後、個々に切離して仕上げに入ります。
銅鏃未成品
銅鏃未成品
【滋賀県教委】
連続鋳造の方法
連続鋳造の方法 (イラスト:田口一宏)

下鈎遺跡では弥生時代後期になると多くの銅鏃や鋳型、青銅器の生産時に発生する銅残渣などが出土しており、青銅器生産を行っていたことが確実視されています。しかし、弥生時代中期ではこの銅鏃未成品1個だけが見つかっています。仕上げ前の未成品が見つかったということは、ここで実際に作っていた可能性があり、下鈎遺跡での青銅器生産が弥生時代中期にさかのぼることを意味します。
下鈎遺跡に先行する下之郷遺跡では銅鏃の鋳型が出土していますし、弥生時代中期の服部遺跡からは青銅器の鋳型が見つかっているのでありうることです。
このことからも下鈎遺跡の集落としての性格が浮かび上がってきます。
ただ、流路内で見つかっていることから、判断に注意を要します。

刀の鞘

川跡から刀(剣?)の鞘の片方が見つかっています。
全長約45cm、幅が約5cmで内部が削り込んで断面がU字形になっています。鞘尻に向けて丁寧に薄くなるように仕上げています。鞘尻から約10cmのところには、2枚の鞘を縛って接合させるために幅約 5cm溝が彫り込んであります。
この鞘に納められた刀がどのようなものかは分かりませんが、幅約3cm程度、長さ40cm以上の直刀がこの時代にあったことを示唆しています。
刀剣の鞘
刀剣の鞘【滋賀県教委】
朱塗りの盾の一部
朱塗りの盾の一部【滋賀県教委】

朱塗りの盾

同じく川跡から朱塗りの盾の一部(長さ約14cm)が見つかっています。直径2mm程度の孔が4か所に開けてあります。朱塗りの盾はこの時代の他の遺跡からも割と多く見つかっており、祭祀や魔除けに使われたと考えられています。

木製高坏の台座

これも同じ川跡から出土したものですが、木製高坏の台座です。
台座の表面は焼けて炭化していますが、底や器本体との結合部は炭化していません。置いてある状態で燃え、器本体を取り外して捨てた状態です。
土器の高坏はどこでも多く見つかっており普段使いの器でしたが、木製の高坏は 祭祀に用いるか、身分の高い人物が威厳を示すために使ったと言われています。

木製高坏の台座
木製高坏の台座(滋賀県教委の図を加工)
土器と共に多量の炭化物と焼土

集中的な廃棄

土器の出土状況のところで、祭祀域での土器の廃棄量が飛びぬけて多いことに触れました。
日常使いでいらなくなった土器が長期間にわたって捨てられ積みあがるのではなく、短期間に集中的に廃棄された気配です。土器だけではなく、多量の炭化物と焼土が一緒に捨てられているのが特徴です。
これらの土器はいずれも弥生時代中期末のものだそうです。
土器の集中廃棄の場所
土器の集中廃棄の場所
(滋賀県発掘調査報告書より作成)
北側の川(自然流路)は、幅は約5m、長さは30m、深さ50cm程度です。ここには、ばらつきがあるものの、ほぼ全面に土器が捨てられています。
南側の溝は、溝2の幅が約2.5m、深さ50〜80cm、溝3の幅が約2.2m、深さ40〜50cmです。ここでは、図で丸しるしを付けた箇所の5m〜10mの所に集中的に土器片が捨てられています。
ちなみに、溝2で図面化された土器片の数は272点、溝3で354点です。
図面中、溝2の東端では、土器ではなく多量の炭化物が見つかっています。

廃棄状況

土器の捨て方や、一緒に捨てられるものに特徴があります。
土器の集中廃棄の状況
土器の集中廃棄の状況(概念図)
(イラスト:田口一宏)
川と溝で共通な状況なのですが、下の方には土器の形が大半残っているものや完全な形を残しているものが、中層には半存の土器や形が判る大きな破片が、上の方には土器の小さな破片が捨てられています。
特徴的なのは、土器と一緒に炭化物や炭化粒が捨てられています。炭化物とは、木材が焼けて炭化した物とのことで、大きいものを炭化物、粉々になったものを炭化粒と表現されています。これらの炭化物が「面をなして積もり土器が埋もれている」状態だそうです。
中層には大きい炭化物が、上の層には細かい炭化粒が捨てられています。
私たちも多量の陶器を壊してしまったとき、大きい破片から集めて捨て、次は中くらいの破片、最後に小さい破片と捨てる作業を進めます。
このことから推測して、弥生中期末に本当に多量の土器が一度に壊れる事故が生じたのだと判断されます。そうして短期間の間に溝や川へ廃棄した、という状況が読めます。
もう一つ特徴的なのは、土器に交じって焼土塊や被熱粘土塊が存在していることです。
この状況をどう解釈するのか?
木材を多量に燃やすのは、土器焼成や青銅器鋳造が考えられますが、完全燃焼すれば炭化物の量はそれほど多くはありません。多量の炭化物が出るのはどういう状況でしょうか? 住居の大火事も考えられます。
土器の焼成具合は良好ということで、土器を焼いている途中のトラブルではなさそうです。
多量の土器と一緒ということは、青銅器鋳造ではなさそうだし、大きな火事があったのかもしれません。
弥生時代中期末に何が生じたのでしょう? その頃、巨大南海地震が起きていました。
出土品の分布から集落の構造や生活の様子を推定

出土品の分布

「住まい」の節で環濠内の北東部、大きな2本の川に挟まれた区域は、後の時代の古墳造営の時に掘削、削平されて住居跡が出てこないのでは、と推測しました。
しかし、この周辺や北側の川、環濠からは土器や石器があまり出てこない、また、中央の川跡からは木製品が出土するのに北部の川跡からは木器が出てこない、など、人の存在が希薄な様子が読み取れます。
同じ環濠遺跡であった下之郷遺跡と比べてみると、環濠からの出土品の違いが際立っています。
下之郷遺跡の環濠からは多くの土器、石器、木器が出てきます。環濠近くに居住域が見つかっているから当然でしょう。
下鈎遺跡では環濠からの出土品はとても少ないものの、居住域近くの川跡からは多くの出土品が見つかっています。「身近なところに捨てる」ということでしょう。
このことから、下鈎遺跡の北東部は、古墳造営時に土地が掘削されたのは事実ですが、どうやら弥生時代にも人があまり住んでいなかったと思われます。
弥生時代中期の下鈎遺跡は河川水運に関わる物流拠点であったとの見方をしていますが、どうやら中央の川を利用していたようです。祭祀域が中央の川の傍にあるのもそのためと考えられますし、居住域がこの区域にあることはうなずけることです。
北側の川は水運に利用されることもなく、居住域もない様子が推測でき、出土品の希薄さとなっていると考えます。

完形品の埋納

完形品〜準完形品の出土状況についてみてます。
完全な形で土器が出土することはほとんどありませんが、破片をつなぎ合わせるとほぼ元の形に復元できるものがあります。
完形品〜完形品に近い土器の出土状況を示します。
    (準)完形土器の出土状況
場所(準)完形土器図面化点数
溝23点272点
溝32354
自然流路3230
川1295
川1突出部465
川20111
(参考)井戸55
弥生中期の(準)完形土器
弥生中期の(準)完形土器の出土
(滋賀県発掘調査報告書より作成)

人の営みが盛んであった川1突出部(かばた状遺構)での出土割合が多いことが判ります。参考に記しますが、祭祀用に使われた井戸での完形品5個の埋納は、特別なことであることがよく判ります。
発掘された破片を組み合わせて元の全体像をほぼ復元できたものを、ここでは"完形品"と呼んでおきます。祭祀域の溝と流路から各2〜3個の完形品が出ていますが、一度に多量の土器が廃棄されていることからマツリに関して埋納されたとは考えにくいです。
川2からは完形品は出てきません。でも、川1の突出部(かばた状の水場遺構)からは4個完形品が出ており、廃棄土器量から考えると、特別に多いと言えます。水場遺構につながる川1からも2個出ています。これらは水場遺構から転がり出たものとも考えられます。
祭祀域が首長のマツリごとの場だとすると、水場遺構は生活のための場であるとともに、家族が行うマツリの場であったと考えられます。

mae top tugi